更新履歴一覧

(5月16日更新)

今年、久しぶりに石川県と福井県の局から仕事の依頼がありました。
石川と福井、隣り合わせの県です。
北陸地方以外の人にとっては、正直見分けのつかない県かもしれません。
石川には金沢という人気の観光都市があり、能登半島があるので、
まだ、イメージしやすいかもしれませんが、
福井は若狭湾くらいしか地図の目安になりそうな所はありません。
むしろ、福井と富山を混同している人がいるかもしれませんね。
拙宅の最寄り駅新横浜からの行き方は、全く違います。
石川(金沢市)には、東京駅経由北陸新幹線「かがやき」で、およそ3時間。
福井市には、東海道新幹線米原経由「特急しらさぎ」で、やはり3時間ほど。
本州の真んなか日本アルプスを挟んで、北廻りか、南廻りか、全く違うルートです。
かかわった番組も、全く違うタイプ。どちらもやりがいのある作品でした。
石川と福井、放送局事情をみてみると、これまた全く違います。
石川県は民放4社(日テレ系、TBS系、フジ系、テレ朝系)があるのに対し、
福井は全国でも数少ない民放2社(フジ系と日テレ・テレ朝をクロスネット)しかありません。
いまやBSやケーブルテレビで全国放送が見られるとはいえ、この差は大きいのです。
金沢という一大観光都市がある石川に比べ、福井はこれといった観光地は
永平寺と東尋坊しか思い浮かばないのですが・・・最近は恐竜で巻き返しを図っています。
駅前には、リアルな恐竜がいて、思わず写真を撮りました。
地方局の仕事、好きです。
担当ディレクターだけでなく、部長、局長、みんなで作るみたいで…。
テレビの古き良き時代が、そこにはあります。そんないい雰囲気を味合わせてもらえて感謝です。
いつもの通り日帰り。越前そば、ごちそうさまでした。画像62

(4月19日更新)

全くの偶然で、去年と同じ日に(4月8日、9日)、京都に行く機会がありました。
去年はどこへ行っても満開の桜でしたが、今年はどこへ行っても葉桜でした。
本来なら盛りを過ぎた桜が散る、桜吹雪の頃のはずなのですが・・・。
桜は諦めて、青紅葉を見に東福寺に立ち寄りました。
紅葉の頃には、撮影禁止になるほど混雑する臥雲橋や通天橋も、
全く人がいません。貸し切り状態。同じ拝観料でも得した気分です。
なかに赤く色づいたものも。春に紅葉する種類もあるようです。
今回、番組で取材させていただいた店に、こっそり行ってきました。
食べておかないと、書けない表現があると思っています。
グルメ番組には縁がありませんが、それでも人気店や名店といわれる店が
担当した番組のなかに出てくることがあります。
それらを、廻るのも仕事のうちかと・・・
役得なのは、取材して内情を知っているので、より美味しく感じられることです。
映像で知っているものと、実際とでは印象が違うものも多々あります。
番組の関係者であることは、言いません。
ご主人と話をしすぎて、ばれたことが過去に1度だけありますが・・・。
日本料理の「K」。噂にたがわず良い店でした。旬のタケノコを堪能しました。
最終日の夕食は、名古屋で途中下車して、駅近くの「S」という肉料理の店に。
去年秋の伊勢参りの時に感銘を受けた店です。今回も絶品の味でした。画像61

(3月8日更新)

記録的に寒かった冬が終わろうとしています。
少し早い春を探しに、箱根に行ってきました。
早咲きのカワズ桜の他にも、コバ桜や名前は知りませんが、
ソメイヨシノに近い品種の桜も咲いていました。
桜は勝手に春の花だと思っていますが、冬にひっそり咲く桜も良いものです。

箱根の入り口にある、県立「生命の星・地球博物館」に立ち寄り、
地球誕生の神秘や生物の進化の物語に触れてきました。
日頃、悩んでいることなどが、バカバカしくなるほどのスケール感でしたが・・・
一方で、小さな悩みや苦しみに翻弄されるのが、
人間の証なのかもしれないと思い知った次第です。

箱根寄せ木細工の博物館で、匠の見事な職人芸に触れ、
何年も前から行きたいと思っていた鰻の名店で舌鼓を打ち、
もちろん温泉にもつかり、小田原の「おでん」の店でほっこりしました。

春を待たずに、またひとり大好きだった母方の伯父が逝きました。
亡くなった人たちのことを思いながら、
一目ぼれした寄せ木細工の猪口で、献杯を重ねる今日この頃です。画像60

(1月31日更新)

年が変わりました。
去年は、個人的にはあまりいい年ではありませんでした。
世話になった父方や母方の叔父や叔母が亡くなりました。
暮れには、義父も逝きました。
70代、80代、90代、同世代のなかでは長生きだったかもしれませんが、
できることなら、もっと、という思いでいっぱいです。
9月には、いつも一緒にいてくれた猫も死にました。
人間と猫を並べるのが、不謹慎と思われる方もいるかもしれません。
しかし、悲しみという点では同じです。大切だったという点でも同じです。
百日が過ぎても、残されたもう一匹が、いなくなった相棒を探しています。
まだ健在な叔父や叔母たちも、
それぞれ病を抱えたり、深刻な老いに直面したりしています。
生きるというのは、つくづく大変なことなのですね。
暮れの1日、京都に途中下車し、龍安寺の庭を見てきました。
有名なつくばいの言葉…『吾唯足知(ワレ、タダ、タルヲ、シル)。』
そんな境地には、ほど遠い気がしています。画像59

(12月16日更新)

秋のお伊勢参り2泊3日は、今年一番のグルメ旅でもありました。
伊勢に行く前、昼過ぎに松阪で下車。お目当ては当然、松阪牛です。
一番の名店は定休日でしたが、地元の人が勧める「K」に行きました。
たぶん、これまで食べたすき焼きのなかでは、間違いなく一番でした。
外宮のお参りを済ませ、夜は伊勢市の寿司屋へ。
ここも行きたかった店は、2か月前に予約を入れた時にすでに満席でした。
そこでガイドブックで見つけた店「I」を予約しました。
台風の通過直後で不漁だったはずが、こちらも大満足の味でした。
古民家を改装した立派な佇まいでしたが、台風直後とあって客は2組だけ。
先にいた客が帰ったあとは貸し切りでした。
店の娘さんが、同級生に私と同姓の「岩井田さん」がいたと教えてくれました。
その岩井田さんは、代々続く伊勢の名士のようで、私が予約を入れた時点で、
「どんな方が来るのか、楽しみでした」と言ってくれました。
還暦過ぎまで生きてきて、名前で得をしたのは初めての経験でした。
伊勢には「岩井田」という地名があることも、初めて知りました。
2日目は、内宮めぐりのあと伊勢うどんを食べ、伊勢根付を買い、
そのまま、サミットが開かれた賢島へ。
夜は、各国首脳にも腕を振るったという女性シェフのフランス料理。
アワビに、伊勢エビ・・・滅多にないご馳走でした。
3日目、昼は英虞湾にある小さな食堂で、カキなどの鉄板焼き。
フランス料理より、私の舌にはこちらのほうが合いました。
そして夜、名古屋駅近くの肉割烹「S」へ。
開店して、まだ1年という店でしたが、ここの肉が最高でした。
この旅で食べてきた料理の記憶が、一瞬すべて吹き飛ぶほどの
衝撃を受けました。滅多にないことです。
いつも「安くて口に合うものが一番のごちそうだ」と思っていますが、
この肉が食べられるなら、少しは高くても良いか・・・と思いました。
「私はただ、美味い肉が食いたいだけなんだ・・・」
なんとなく、分かる気がしました。画像58

(11月16日更新)

先日、伊勢神宮に参拝してきました。実に50年ぶりのお伊勢参りでした。
子供のころ、父親の仕事の都合で小学校を4回5校変わっています。
鹿児島⇒京都・伏見区⇒大阪・西区⇒大阪・城東区⇒東京・北区。
大阪の諏訪小学校で、6年生の時に行った修学旅行が伊勢志摩でした。
当時のことは、旅館での枕投げと、翌朝眠い目をこすりながら見た
夫婦岩に昇る朝日のことは鮮明に覚えています。
しかし伊勢神宮参拝のことは、ほとんど記憶に残っていません。
つまり、実質初めてのお伊勢参りだったわけです。
江戸の庶民が、一生に一度は行きたいと願った場所。
訪れたのは、日本列島を巨大台風が直撃した翌日で、
観光客が極端に少なく、特に外宮は貸し切り状態でした。
人がいないということもあり、ただでさえ静寂に包まれた境内は、
一層神秘的で心が洗われる感じがしました。
1日目は外宮だけ、2日目に内宮を巡りました。
記録的な大雨により五十鈴川が増水し、
正式な清めとなる川でのお清めは出来ませんでしたが、
参拝客が少なかったぶん、ゆっくりとお参りできました。
あまりに人が少ないため、本当なら人だかりができるはずの
パワースポットといわれる外宮の「三ツ石」や
内宮の「四至神(みやのめぐりのかみ)」などを、
あやうく見過ごしてしまいそうになりましたが、なんとか見つけました。
毎年は無理でも、出来れば数年に一度は行ってみたい場所が、
またひとつ増えた気がします。
昼間からお神酒を飲み、伊勢うどんを食べ・・・
時代を超えた日本人の感性に触れたような気がしました。
参拝のあとは、賢島まで足を延ばし、サミットが行われた会場へ。
ホテルから見る英虞湾に沈む夕日が、とてもきれいでした。
50年前は朝日が、今回は夕日が印象的でした。
ちなみに、私は小学校の修学旅行に2回行っています。
大阪で伊勢志摩へ。6年の2学期に引っ越した東京で、日光へ。
なんだか得した気分になった50年前のことも、思い出しました。画像57

(9月23日更新)

いつも傍にいてくれたサバトラが、先日亡くなりました。モモという名前のメス猫です。
昔、近所の猫屋敷から家内がもらってきた猫です。
共に暮らして15年。子猫は、あっという間に年齢を重ね、
人間の歳にすると、私をいつしか追い超していました。
猫の15歳は、人間なら75歳くらいだそうです。
なぜか私に一番なつき、生涯のほとんどを、
仕事場でもある私の部屋で過ごしました。
帰宅し部屋に入るとき 「モモ、ただいま」と呼ぶのが、
私の長年の日常でもあったわけです。
小さく美しい声で、「ミャオ」と応えてくれたものです。
人見知りが激しく、よその人はもとより、
家族でも抱っこされたのは私と末娘のふたりだけ。
一方で、おとなしい手のかからない子でした。
時々パソコンのキーボードの前に来て寝ころび、
撫でて欲しいと甘えるだけで、しばらく遊ぶと、
部屋の隅やパソコンの陰に隠れて、じっとしていました。
ベランダでのブラッシングが大好きで、
私が眠るときは、いつも添い寝をしてくれました。
ここ1カ月ほど食が細くなり、
最後の1週間は寝たきりのような状態でした。
病院へは連れていきませんでした。
環境が変わるだけで、ショック死しそうな気がしたからです。
亡くなるときも、少し呼吸が荒くなってから
20分ほどで静かに息を引き取りました。
「手間、かけなさすぎだよ・・・」
いまは、小さな壺に納まった遺骨を、
お気に入りだった部屋の隅に置いています。画像56

(8月20日更新)

夏は祭りのシーズンでもあります。
青森のねぶた、仙台の七夕、深川の水かけ、大阪の天神、徳島の阿波踊り、
高知のよさこい、博多の祇園山笠・・・あげたらきりがないほど、
この時期、日本中で様々な祭りが開催されます。
そうした祭りの多くが、赤字になっているというニュースが流れていました。
見物客、なかでも団体客が減少し、有料見物席がなかなか埋まらないそうです。
それぞれの祭りが、昔より肥大化し、客を奪いあってきたせいかもしれません。
よその祭りをわざわざ見に行こうというパワーが、
主な客である中高年から薄れているのかもしれません。
また、行きたくても金銭的余裕が、枯渇してきているのかもしれません。
色々な「かもしれません・・・」が複合的に絡み合って、
特に全国区となった有名な祭りがピンチです。
私も7月に、京都に祇園祭を見に行きました。
日本三大祭りに数えられる祇園祭さえも、ここ数年赤字だそうです。
不特定多数の人からインターネットを介して資金を募る、
クラウドファンディングを利用しているという話も聞きました。
それでも沿道には、動く芸術といわれる『山鉾巡行』を見ようと、8万人の観衆が詰めかけ、
宵山には見渡す限り屋台が出て、暑い京都の夏の夜を彩っていました。
川床や納涼床で鱧や鮎料理に舌鼓をうち、暑気払いする知恵も素晴らしいと思いました。
その祭りに魅せられた人は、毎年は無理でも、またやってくるでしょうし・・・。
派手になりすぎてイベント化してきた祭りが、地元の人たちの生活に根ざした、
本来の形に戻ろうとしているのなら、それはそれで良いと思うのですが。
どうせ暑いのならと、大好きな京都のラーメンを並んで食べ、
そのあと、かき氷も食べました。当然、宇治金時です。画像55

(7月22日更新)

先月、久しぶりに地方局の仕事をしました。
世界遺産に決まった「沖ノ島」がテーマです。
最初に電話で「オキノシマの話です」と依頼されたときに、
私は「隠岐の島」と勘違いしました。「世界遺産」という言葉が出るまで、
相手のかたと私は別々の島を思い浮かべて話をしていたことになります。
その「沖ノ島」、一般人の入島は基本許されていません。
今年まで「大祭」の時、
応募者のなかから200人ほどが抽選で入島できました。(男性のみ)
しかし世界遺産登録が決まり、それも取り止めになるようです。
今年およそ700人のなかから選ばれた200人余りの人たちは、
じつにラッキーだったのかもしれません。もう、宗像大社の神主になる以外、
普通の人は「沖ノ島」に行くことが許されないのですから・・・。
福岡にある九州朝日放送の制作です。
わずか4日の間に2度、福岡に足を運びました。
新幹線に5時間近く乗って、現地で4時間、そして5時間かけて戻りました。
福岡に行った気分を味わえたのは、昼食の博多ラーメンだけ。
新幹線で移動すると、つくづく日本も広いなと・・・感じます。
関門トンネル越えると、空気感まで違って来るのが分かります。
故郷が鹿児島の私には、何だか懐かしい感じがしてくるから不思議です。
片道5時間近い旅。
でも、車内で売っていた人気の日本酒『獺祭』を飲み、
大好きな「清広のさば寿し」を食べ、
日本一固いと言われる「アイスクリーム」を楽しみ、
本を読んで、うとうとしていると、意外と早く着いてしまいます。
毎回、上りも下りも、名古屋から岡山辺りまで記憶がありません。
ちなみに、日本には離島だけで6847もあるそうです。
なかでも稀有な「沖ノ島。」
行きたくても行けない世界遺産の島です。ご高覧ください。画像54

(6月15日更新)

1泊2日ですが、京都の春を楽しんできました。
ここ数年は、3月に早春の古都を散策してきましたが、
今年は久しぶりに花吹雪の舞う京都の町を歩きたいと、
3週間ほど遅らせ4月中旬に行きました。
しかし、開花が遅れたため、まさにドンピシャの満開。
イメージしていた花吹雪には少し早すぎましたが、
どこへ行っても桜いっぱいの京都を満喫できました。
初日は小雨。地下鉄の1日フリーパスを買って・・・
まずは、秀吉の花見で有名な醍醐寺へ。
続いて、線路内を歩きながら桜が見られる蹴上インクライン。
南禅寺を廻って十石舟巡りで知られる岡崎疎水(そすい)まで。
夜はライトアップされます。
二日目は、朝まで降っていた雨が上がり・・・
まず嵐山を散策後、嵐電に乗って桜のトンネルへ。
桟敷の茶屋が開かれる、京都市民の花見のメッカ平野神社を経て、
東山へと一気に足を延ばし哲学の道へ。
1年に数日しかない桜満開ど真ん中の京都を堪能できました。
十年分の花見を一遍にしたような気分です。
それにしても、日本人は桜が好きですよね。
卒業や入学といった人生の節目を彩る桜は、
それぞれの人生の思い出にも、花を添えているのかもしれません。
「敷島の やまと心を人とはば 朝日に匂ふ 山さくら花」
なんて有名な歌もありますが、桜は日本人にとって特別な花です。画像53

(3月18日更新)

食べることは好きです。しかしわざわざ遠くへ出かけて行って、
いわゆる名店(予約をしなかれば席が確保できないところ)で、
食事をすることはほとんどなくなりました。春と秋の京都くらいでしょうか。
横浜に住んでいますが、中華街や元町などからも足は遠退きました。
毎日のように外で飲んでいた時期もありましたが、それもおっくうです。
反して、近所の気にいった店に足を運ぶようになりました。
打ち合わせに来た人を、連れていくこともあります。
我が家から徒歩で行ける駅は5つ(なかには20分はかかる駅もありますが・・・)。
JRの「新横浜」、東横線の「菊名」、「妙蓮寺」、「白楽」、そして市営地下鉄の「岸根公園」。
その近辺の店です。同じ場所に35年近く住んでいますが、
暫く、近所に良い店はないと思っていました(知らないだけだったのですが・・・)
ここ数年で、常連になった店が何軒かあります。
焼肉店の「A」。肉の卸問屋が出しているこの店は、安くて、うまい。
倍から3倍の料金を出せば、ここより美味しい店は数多あるでしょうが、
値段と質の高さとのバランスで、ここ以上に満足できる店を私は知りません。
割烹「M」。夫婦だけでやっている小さな店です。
散歩の途中で見つけて、通うようになりました。
日本酒の種類は多くありませんが、ラインナップは好みです。
魚料理が食べたくなったら、とりあえずこの店を目指します。
イタリア料理の「P」。近所では最もオシャレな店。まだ3年目くらいの新しい店です。
若いシェフが頑張っています。ランチは満席に近いようですが、
夜、ふらりと行くと、結構広い店なのに他に客がいない時も・・・。
こんな店が長続きして欲しいものです。
遠くの名店より、安くて普通に美味しい近くの店。
酔っても歩いて帰れるので、ポイントが高くなります。画像52

(2月25日更新)

ほとんど自慢できるものはありませんが、魚を食べるのは上手です。
柔らかい骨の魚は、骨まで食べてしまいます。頭と尻尾も残らないことも。
料理屋でも(それがマナー的にどうかは別にして・・・)
「凄いですね」と言われることが、よくあります。
60年以上前、海辺の実家に帰って私を産んだ母からは、
「お前の離乳食は魚だったから・・・」と、度々聞かされていました。
どうやら私の魚好きは、筋金入りのようです。
でも、ときどき無性に肉が食べたくなる時があります。
そんな時は、しゃぶしゃぶ、すき焼き、トンカツ、生姜焼きの類ではなく、
決まってステーキか焼肉です。
何だか、エネルギーを直接補給している気分になります。
時々、料理をスマホの写真で撮ります。
撮りためたものを見ると、肉が多いのです。
先に書いたとおり、「肉」より「魚」が好きだし、
食べる回数も魚料理のほうが圧倒的に多いのに、写真は何故か「肉。」
しかも、生姜焼きやトンカツなども食べるのに、
写真に残しているのは、「ステーキ」か「焼肉」なのです。
やはり、生肉には不思議な力があるような気がしてなりません。画像51

(1月5日更新)

明けましておめでとうございます。年々、1年が短くなっているように感じられます。
還暦を過ぎれば、あの一休さんが狂歌で詠んだように・・・
『門松は冥土の旅の一里塚』なのかもしれません。
年末は、しめ飾りもせぬまま、台湾に行っていました。
台湾へは、去年の夏初めて行き、治安も良く、食事もおいしく、
なによりフレンドリーな雰囲気が気に入り・・・再訪した次第です。
夏はゴルフが目的でしたが、台湾をよく知る仲間たちが一緒だったので、
観光旅行としても充実していました。
ただ、故宮博物院に行けなかったことが心残りだったで、
今回はそれをメーンに、主に台北を3泊4日で散策しました。
地下鉄を使い、地元で人気の店で小籠包や台湾料理を食べ歩きました。
前回は昼の風景しか見ることができなかった、
近郊の観光地「仇分(きゅふん)」の夜も散策しました。
ただ、ほとんど歩けないほどの混みようでしたが・・・。
前回はむしろ避けて通った有名な『阿妹茶酒館』で、茶芸も楽しみました。
中正記念堂の衛兵交代式も、ほとんど偶然見ることができました。
年越し寸前には自宅に帰りつき、1日の夜からは仕事を始めました。
年始早々、仕上げなければならない番組があったためですが・・・
今年は、今まで出来なかったこともやれればと思っています。画像50

(12月2日更新)

今年も色づく京都に行って来ました。
去年があまりに無残だったせいか、比較的美しい紅葉を見ることができました。
しかし、艶やかというほどでもなく、この10年では『中の下』というところでしょうか。
毎年のように行く東福寺は、通天橋からの撮影が禁止になったこともあり、
素通りして光明院へ。人の数は100分の1くらいでしょうか。静かに庭を愛でました。
雨の日、インスタグラムを見ていたら『瑠璃光院』の人気が高いので足を運びました。
ところが八瀬比叡山口駅を降りると、長蛇の列が目に飛び込んできたのです。
なんと、入場券を買うまでに1時間かかると言われ、すぐに諦めました。
乗って来たばかりの比叡山電鉄にそのまま飛び乗り、3つ戻って修学院駅へ。
『赤山禅院(せきざんぜんいん)』を目指すことにしました。
雨のなか15分歩いたのが大正解。
紅葉の名所のひとつなのに、嘘のようにひとっこひとりいませんでした。
紅葉に彩られた参道も境内も、まるで貸し切り状態。
雨には濡れましたが、今回一番の思い出の風景になりました。
思うに、どうもインターネットでの情報に、みんな踊らされている気がします。
それと、ここ数年感じていたことですが外国人の観光客の多さ・・・。
経済のためには良いことでしょうが、今年はさらに凄いことになっていました。
例えば、渡月橋はまるで連休のディズニーランドのよう。人の波でした。
もはや京都は、日本人の癒しの街では無くなった気がしています。
今度は、わざと桜と紅葉の時期を避けて行くことになるのでしょうか・・・。
あまりに寂しい気もしますが。画像49

(10月21日更新)

地方へ出かけた際、お土産に苦労します。何が美味しいのか・・・今はネット情報などが豊富で、
失敗は少なくなりましたが、一方でその失敗の楽しさもなくなりました。なんでしょうかね・・・。
ただ場所によっては、絶対迷わないものがあります。今週、福島と静岡のテレビ局に行きましたが、
この2つの県では全く迷いません。
福島には「ままどおる」、静岡には「うなぎパイ」という鉄板があるからです。共に半世紀を生き抜いた銘菓。
特に50年近く前、「ままどおる」を食べた時の衝撃は、私の記憶のなかでも相当上位に位置するものです。
私は子供の頃、全国を転々とする生活を送りました。大叔父(父親のおじ)が土木の親方でした。
ダムや新幹線そして地下鉄・・・トンネル掘りが上手で、勲章まで貰った人です。
多いときには200人以上働いていたでしょうか。その半数は季節労働者。大半が東北の人でした。
彼らは帰省するたびに、親方の隣りにいつも座っているかわいいい子供にお菓子を買って来てくれました。
私のもとには、大げさに言うと日本国中(特に東北と九州)の銘菓が山と積まれたのです。
でも、たいていは「名物に旨いものなし」でした。「なんだよこの饅頭。なんだよこの煎餅。けっ!」
そんなクソ生意気な餓鬼の常識を打ち砕いたのが、「ままどおる」だったのです。
食べた瞬間から、私のなかでは日本一美味しいお菓子として燦然と輝きました。
その後似たような味のお菓子も出てきましたが、50年近く前に出会った時のあの感動は忘れられません。
美味しい「ままどおる」を買って来てくれる人は、福島の郡山から毎年やって来ていたおじさん。
その顔と名前は、今でもはっきり覚えています。やはり、お土産は厳選しなければと思う次第です。画像48

(9月29日更新)

今年の夏休みは、家内の実家がある信州・松本で過ごしました。
去年は、たった1泊でとんぼ返りしたため(仔細は去年書きました)
今年は大好きな松本を久しぶりに堪能できました。
信州の名物といえば、いろいろありますが・・・
私的には「そば」に「馬刺し」でしょうか。それに、鯉の甘煮、鰻もいいですね。
それを肴に、温泉上がりに日本酒を飲む。私のおススメは「御湖鶴」「美寿々」。
その他にも、美味しい日本酒が沢山あります。米も水も環境もいいからでしょう。
帰省する度に酒を酌み交わしていた義父は、少しずつ痴呆が進み、
もうビール1杯が関の山になりました。大正15年生まれの90歳。卒寿です。
その義父は、夕方になると家の前の道路のそばでいつも佇んでいます。
仲の良かった友達が、麻雀の迎えに来るのを待っているようです。
家の中に入ることを勧めても、なかなか諦めません。
その友だちのほとんどは鬼籍に入りました。義父はそのことも忘れているようです。
20年ほど前、『ボケのち晴れ!』という
養護老人ホームのドキュメンタリーを作ったことがあります。
ご当人たちは案外楽しそうだったのが印象的でした。
その老人ホームには特に仲の良いお婆ちゃん同士がいて、
「この人とは本当に話が合うの・・・」と飽きずに昔話をしていました。
その二人、実の姉妹なのです。
互いがその存在を忘れ、共通の思い出を仲良く語り合っていたのです。
周りは大変でも、本人たちにとっては、少しずつ何かを忘れていくことは
ひょっとして幸せなことなのかもしれません。
死ぬことさえ怖くなくなれば、それもまたよしです。
私もいずれ、そうなるんでしょうね。画像47

(8月9日更新)

週末を利用して、2泊3日で台湾へ行って来ました。目的はゴルフ。
ただ、昔のように2日続けてプレイするには気力も体力も無く、
ほとんどグルメツアーのようなありさまでした。
土曜の昼下がりに羽田を発つと、台北に夕食時間に到着します。
空港も市街地に隣接しているので、とても便利。無駄なく時間を使えます。
初めての台湾でしたが、同行者たちは何度も来ている人たちだったので、
ただ付いていくだけでとても楽しい旅になりました。
しかも、普段ロケ隊をアテンドする台湾人の優秀なコーディネーターまで、
友人として同行してくれたので、至れり尽くせり。
ゴルフは35度の猛暑のなか、予想通りバテバテでしたが・・・
信仰のシンボル龍山寺、世界有数の高さを誇るビル台北101、
人気の仇分、そして屋台が楽しい夜市に、安くて上手な足裏マッサージ。
台湾が初めての私のために、同行者たちは、
すでに何度も訪れたであろう定番コースを廻ってくれたので、
観光旅行としても実に愉快なものになりました。 みなさんに感謝!
噂通り、台湾の人たちは日本人に対してとても優しく、
ほとんどの場所で日本語が通じるので、
海外旅行というより国内旅行に近い感覚でした。
ゴルフ場も日本人が多く、町でも日本の家族連れを大勢見かけました。
ハワイと双璧を誇る人気の海外旅行先だということは知っていましたが、
それを実感する旅になりました。治安も良く、食も大満足の台湾。
ハマってしまう人が多いというのもうなずけます。 画像46

(7月2日更新)

私の星回りである「九紫火星」は、今年飛躍の年です。そんなことを、気にする性格(たち)です。
厄除けなどにも、ちゃんと行きます。 20年ほどまえ、改名もしました。
私の本名は「利治」と言いますが、ペンネームとして「洋光」を使うようになりました。
出逢ったある人から、「利治」は晩年運が良くないと言われたからです。
当時、私は40代になったばかりで、仕事もプライベートも順調といえば順調で、
晩年のことなど考えなくても良かったはずなのですが・・・。
いつの間にか、その晩年に入り(四柱推命では50代半ばから晩年というそうです)
今後の運勢はどうなるのか・・・。
今年に入って、あまり良いとは言えなかったのですが、少しずつ運気が上がって来たようです。
最近あった、些細な「幸せ」を列記します。
2年ほど咲かなかった庭のユリが、花をつけました。
義母が接ぎ木をしてくれたバラが、ピンクの大輪を咲かせました。
あるクジで、宝塚の観劇券が当たりました。
半年ぶりに行ったゴルフで、人生で初めて1発もOBを出さずに回れました。
毎回検査する度に切除していた腸のポリープが、今回はセーフでした。
そして、5人目の孫が産まれました。
20年前の改名のご利益を、信じてみようと思います。画像45

(6月6日更新)

我が家の庭が、一年で一番華やかな季節を迎えています。
特に色とりどりのバラが、庭を席巻しています。
なかでも今年は、サーモンピンクのチェリッシュが目をひきます。
その艶やかなバラの間には、小さな野草も・・・。
キク科の白い花々に、かんざしのような丸い花をつけるアルメリア。
鮮やかな青色のロベリア。北アメリカや南米、アフリカ原産の花々。
小さな庭は、とんでもなく国際的なのです。画像44

(4月25日更新)

秋に球根を植えたチューリップが、次々と開花しています。
赤・エンジ・紫・黄・白・・・と、色はばらばら。
次に何色が咲くのか分らないので、それはそれで楽しみです。
チューリップの花言葉は・・・。
去年、熊本朝日放送開局25周年番組『きっとある虹色の道』という番組に、
構成協力というかたちで関わりました。
熊本出身の絵本作家・葉祥明さんの目線で、
郷土の美しい山河と四季を追いながら、
1年をかけ熊本をテーマにした絵本を作っていくというものです。
たぶん九州だけでしかOAしませんでしたが、
民放連の九州・沖縄地区で優秀賞を獲得しました。
http://www.kab.co.jp/25th-ehon/
とにかく美しい作品でした。熊本の素晴らしさに溢れていました。
なかでも、雲海に代表される阿蘇の自然の移ろいは、息をのむ絶景でした。
その熊本が、阿蘇が、大変なことになっています。
あの雄大さを造った要因でもある地殻の変動が、
そこに暮らす人たちに、いま深い悲しみをもたらしています。
庭に揺れるチューリップを見ながら、自分に何ができるのか・・・考えています。画像43

(3月25日更新)

先週、春浅い京都へ行って来ました。
「ソメイヨシノ」のつぼみは、開花までもう少しという感じでした。
去年も同じ時期に散策したので、
桜には早いというのは十分承知していたのですが、
ぶらぶらしたくて出かけました。
花吹雪となって、桜が舞い散る頃の京都も素敵ですが、
開花前の時期もいいものです。早咲きの桜も見つけました。
嵐の前の静けさ・・・
人出は、たぶん1週間後の10分の1以下だったでしょう。
どうしても立ち寄りたい料理屋も、
この時期ならすんなり予約が取れます。
最近嫌なことが、いくつかありました。
験直しの京都で、春の兆しを見つけたいと思いました。
毎回一ヶ所は、未知の場所に足を延ばすようにしています。
今回の初めての場所は、嵐山の『大悲閣千光寺。』
渡月橋を渡り、保津川沿いに小一時間ほど歩く場所にあります。
対岸(右京区側)は大勢の観光客で溢れているのに、
何故かこちら(西京区側)は人がいません。
いま話題の旅館『星のや京都』の、真裏の崖の上にある禅寺です。
崩れ落ちそうな崖を登って行くと、その崖にへばりつくように閣があり、
そこから、なんと京都市内まで見渡せます。まさに絶景!
そして特筆すべきは、この崖の上まで登って来た者は、
誰でも3回立派な梵鐘をつくことができるということです。
(入山料400円は要りますが)
「ゆく年くる年」でも中継されたという釣鐘を、思いっきりつきました。
自分がついた鐘の音が、保津川から桂川とつながり・・・
そのまま京都の市街地にまで響き渡るようで、快感!でした。
日本人より外人(欧米人)が多いという(たまたまかもしれませんが)
不思議な寺でした。境内にいた柴犬の「すみれちゃん」にも癒されました。画像42

(2月23日更新)

『文藝春秋』の3月号に
「88人の最後の言葉」という企画が掲載されています。
10代で命を絶った少年から百歳まで生きた作家まで、
その遺書や遺言が特集されていました。
88人のなかに、ちょうど60歳で亡くなったかたが二人。
手塚治虫さんと色川武大さん。
手塚さんは、誰もが知る漫画の神様です。
大学生の頃、白馬の山小屋でアルバイトをしていた時、
偶然見かけたことがあります。小学生だった息子さんと、
一休みしたあと山頂を目指して登って行かれました。
「あんな忙しい人でも山に登るのか・・・」と思ったことが、
昨日のことのように甦ってきました。
色川武大さんは阿佐田哲也の別名で
『麻雀放浪記』を書いた無頼派の作家。
雀士ってこんな顔をしているのか・・・
と憧れたことがあります。
そんな人たちが亡くなった年齢と、
自分が同じ歳ということが不思議です。
88人のなかには、仕事をしたことのある人も・・・。
逸見政孝さんは48歳。田中好子さんは55歳。
筑紫哲也さんは73歳。新井将敬さんは50歳。
橋田信介さんは61歳。
一度もお目にかかることはありませんでしたが、
昭和の大スター、美空ひばりさんと石原裕次郎さんは
共に52歳。松田優作さんは40歳・・・。
ほとんどの人が、私より早くに逝っているのです。
先日、同じ年に生まれた従妹が亡くなりました。
同い年だったのに、誕生日前だったため享年は59。
何十年と透析を続け、闘病生活の長かった人でした。
子供の頃、ともに帰省した鹿児島の田舎で過ごした
夏休みの日々が思い返されます。
いつも溌剌としていて、美しい人でした。

(1月30日更新)

やっと本格的な冬の寒さが、首都圏にも到来した感じです。
野に咲く花には厳しい季節ですが、
室内には、鉢植えのシクラメンや蘭の花が咲き誇っています。
色鮮やかで美しい花たちは、そこだけ別の季節のようですが・・・。
ふと見ると、庭の椿が見事な花を咲かせていました。
寒さのなかで耐える椿が、いっそう凛と冴えて神々しくもあります。
温室のなかの華麗さか、厳しい自然のなかの気高さか・・・
1世紀前なら余命ともいえる60代を、どう生きるか・・・。
今年一番だという寒波到来の日に、
そんなことをつらつらと考えています。画像41

(1月13日更新)

明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。
私はこの1月に還暦を迎えます。暦が一巡りしたわけです。
日本人の平均寿命は、江戸時代が45歳。
明治、大正の時代はさほど伸びず、
昭和に入ってからも、戦争前は50歳に達していません。
1世紀早く生まれていたら、60歳は十分長寿だったわけです。
60代をどう生きるか・・・真剣に考えてみたいと思います。
正月は、十年ぶりにスキーに行っていました。
家庭サービスとは縁遠い暮らしをして来ましたが、
年に一度冬休みにスキーへ行くことが、
我が家の唯一ともいえる恒例行事でした。
中断したのが、末娘が大学に入った十年前。
もう二度とスキーに行くことはないと思っていたのですが、
今度は孫たちが出来る歳になりました。
まさに、暦は繰り返しているのです。
去年のモルジブは、天候に恵まれましたが、
今年の越後湯沢は、暖冬で雪が少なく残念でした。
結局、年末では終わらなかった仕事を旅先にも持っていき、
仕事ときどき酒と蕎麦と温泉の正月でした。画像40

(12月26日更新)

2015年も、あっという間に終わろうとしています。
私にとっては、50代最後の年でした。
その年の瀬・・・今年の仕事納めは、有るのでしょうか?
正月早々に放送する番組を、年末に次々と仕上げています。
旅に出る大晦日までには、何とかけじめをつけたいものですが・・・。
先日も、朝から深夜まで打ち合わせやプレビューが続き、
赤坂・六本木界隈の局やスタジオ、制作会社を行ったり来たり。
ラーメンをかきこんで、足早に次の場所を目指していると・・・
やたらカップルが多いことに気づきました。クリスマスイブでした。
忘れていたことに、一瞬呆然としてしまいました。
見れば、美しいイルミメーションもきらめいています。
写真のケーキは、ある制作会社でプレビューの合間にオジサン6人で食べたもの。
これが今年のクリスマスケーキとなりました。
さらば、2015年。さらば、50代。
【追】
私に年賀状を出そうとしている奇特なかたが、
もしこれを見ていたら、出さなくて結構です。
私はもう10年、自分からは年賀状を出していません。
メールで結構です。
良いお年をお迎えください。画像39

(12月3日更新)

一泊二日で京都に行って来ました。
しかし、今年の京都の紅葉は、私が知る限り最悪でした。
自然のことですから、毎年、違いがあるのは仕方ありませんが・・・。
色づく頃に、冷え込みが少なかったからではないかとは、地元の人の弁。
(今年の京都の11月の気温は、140年間で一番高かったそうです。)
一方で、人出は記憶にないほどの混みようでした。
中国や台湾、タイなど東南アジアからの旅行者が急増したためです。
その人たちに、京都の秋ってこの程度かと思われたとしたら無念です。
紅葉が自慢の寺や神社などは、ほとんど入場料が必要です。
入口には最も美しい年のポスターが貼られ、「見ごろ」と書かれた文字も。
安くはない金を払って、そこに無惨な風景が広がっていたとしたら・・・。
『今年の紅葉は例年にくらべ色あせています。それで、よろしければ』
そんな断り書きを出しているところがあれば、むしろ嬉しくて入ったでしょう。
でも、私が見た限り、その種のものは一枚もありませんでした。
今年は、入場料の要るところは、できるかぎり素通りしました。
初日は無料公開の京都御所、南禅寺から哲学の道、法然寺、金戒光明寺へ。
途中の永観堂や真如堂は、外から眺めるか、境内を通るだけ。
二日目は、去年行きそびれた妙心寺の大法院へ。
ここで初めて入場料を払いました。但し、抹茶と菓子付きで700円。格安です。
そこから嵐山に足を延ばしました。
渡月橋周辺の色づきは、紅葉というよりくすんだ感じ。
嵯峨野を散策しましたが、残念な色づきのうえに、混んでいるのが嫌で、
秋が一番美しい、常寂光寺、二尊院、祇王寺には立ち寄りもせず。
人が少ない宝厳院、宝筐院、厭離庵と小さめの庭をめでました。
来年は、是非とも燃えるような紅に染まる秋の京都が見たいものです。画像38

(11月14日更新)

近所にハワイアン風のパンケーキ専門店が出来ました。
しばらくは行列ができていましたが、落ち着いてきたところで、
先日、家族とブランチに出かけました。
パンケーキ。私たちの世代で言えば、ホットケーキです。
周りが大人だらけの環境で育ったせいか、
オシャレな料理を食べる家庭ではなかったせいか、
ホットケーキを食べた最初の記憶は、10代後半だったと思います。
同様に、グラタンやハンバーグなども小さいころ食べた記憶はありません。
スープより味噌汁。スパゲッティーよりうどん。煮物や煮つけ、干物・・・
そうした料理が多い家庭でした。
ホットケーキの存在すら知らずに、長い間過ごしていた感じがします。
ただ、漫画ポパイに出てくる太っちょのおじさんが、いつも片手に持っていた
ハンバーガーの存在は知っていました。憧れの食べ物でした。
そのハンバーガーを初めて口にしたのは・・・
やはり高校生になってからだと思います。
パンケーキの専門店で、そんな話を家族にすると・・・
宇宙人を見ているような眼をされました。
フライパンで簡単に作る料理だから「パンケーキ」。
「おばあちゃんは、そんな手抜きの料理を作らなかったわけよ!」
口まで出かかったのですが、言いませんでした。
たぶん母は、生涯一度もホットケーキを食べたことがないと思ったからです。画像37

(10月6日更新)

一気に秋ですね。
身近なところでは、この季節に花をつける野草の「岩シャジン」が満開です。
デパートのエントランスにも、秋の花壇が飾られていました。
食べ物も美味しくなる季節です。
昼食は打ち合わせなどの合間をぬって外食が多いのですが、
この時期は大戸屋の「サンマ定食」が好きで、今週は3日連続食べてしまいました。
鰻も天然ものの旬は、夏ではなく秋から冬にかけてです。
でも高いので、養殖もので満足していますが。

【追】
去年8月6日に放送した「ヒロシマを遺した男」(テレビ新広島)と
去年9月30日に放送した「ガイアの夜明け・福島の未来のために・・・」(テレビ東京)が
共に今年の日本民間放送連盟賞の優秀賞を受賞しました。画像36

(8月30日更新)

今年も、夏休みらしい休みはとれませんでした。
7月上旬に伊豆の川奈にゴルフで1泊。
7月下旬に軽井沢にゴルフ。これは日帰りでした。
そして、8月のお盆の時期に家内の故郷である信州松本に帰省しました。
家族は先に帰し、私は2日遅れで合流、2泊3日の夏休みを楽しむつもりでしたが、
あるタレントさんの都合で、ナレーション原稿が早く欲しいという連絡が入り、
私だけ1泊で切り上げ、自宅に戻って仕事をしました。
喜んだのは留守番をしていた猫たちだけ。(猫だけでも喜んでくれてよかったです)
ことわざに「泣く子と地頭には勝てぬ」というのがありますが、
この仕事をしていると「泣く子とタレントには勝てぬ」ということでしょうか。
結局、たった1日しか居られなかった松本ですが・・・大好きな街です。
学生時代、山小屋でアルバイトをしたことがあります。
松本は乗換えの駅で、夜遅くに到着し、始発まで便が無く、
その間、何度か夜中の町をぶらぶらしたことがありました。
北アルプス(西山)と筑摩山地(東山)に囲まれ、清流が町を潤す・・・
そして国宝松本城に代表される城下町ならではの文化の香り。
戦火を逃れ、古い家並みが残っているのも魅力的でした。
人口も20万人強と、人が住むにも丁度いい大きさの町です。
しかし、最近は不義理をしており、私が松本に帰省するのは7年ぶりくらいでした。
あずさ号に乗ったのも10年ぶりくらいだったでしょうか。
久しぶりなので、炎天下でしたが、駅から家内の実家を目指して歩きました。
途中の町並みは整備され、以前よりきれいになっていたのですが・・・
なんだか昔の魅力が薄れていました。よそゆきの町になってしまった感じです。
好きだった蕎麦屋さんは廃業し、行きたかった鰻屋さんは、商売っ気もなく休業。
一方で、知らない店も何軒もできていて・・・観光客が列を作っていました。
さすがに並ぶのは嫌なので、町はずれで見つけた初めて入る蕎麦屋に寄りました。
そこで大雪渓の純米吟醸酒と蕎麦料理を、ゆっくり味わいました。
支払いの時、何時出来たのかを聞くと「5年前です」とのこと。
やけに5年という時間が、短く、せつなく感じました。画像35

(7月27日更新)

今年も広島で8・6特番を作っています。今年のテーマは「胎内被爆者の70年」。
「ヒロシマ」「ナガサキ」に原爆が投下されたとき、推定2万5千人の妊婦が、
お腹の中の赤ちゃんとともに亡くなりました。
しかしあの地獄から、生きのびた母親がいます。そして、新しい命をつなぎました。
母親の胎内で被爆し、生まれてきた赤ちゃんは、少なく見積もっても9千人。
その人たちは、今年70歳を迎えます。どんな半生だったのでしょうか。
今回は、ひとりの人物にスポットを当てるというより、胎内被爆者と呼ばれ、
最も若い原爆の被害者でもある人たちの声を、なるべく多く聴きたいと考えました。
そこで証言集の構成にしました。
そして判ったこと・・・
これまで全く別々の人生を送って来た胎内被爆児たちの多くが、
不思議なことにいま同じ道を歩もうとしていることです。
この作品も、広島・長崎だけでなく、
是非なるべく多くの人たちに見て欲しいものです。画像34

【追】昨年8・6特番で放送した「ヒロシマを遺した男」が、
民放連中国四国地方の審査で最優秀賞を受賞しました。
中央での最終審査に向かいます。

(7月12日更新)

拙宅のJRの最寄り駅は「新横浜」です。
同じ場所に住んで30年以上になります。
家を建てる時、なぜこの場所にしたのか・・・決め手のひとつが新幹線でした。
新横浜~東京間の回数券は、私の必需品ですし、地方局に行くのも便利です。
例えば静岡の局へは、お台場のフジテレビに行くより早かったりします。
6月7月と足しげく通っている広島からも、20時発の「のぞみ」に乗れば、
23時半には新横浜に帰ってこられます。
東京駅で東北や北陸新幹線へ乗り換えれば、これまた便利です。
つい先日も、金沢の局へ日帰りで行って来ました。
私は新幹線に乗ると、ほっとします。
特に帰りは、新横浜から徒歩圏なので、乗車イコール自宅に着いたも同然と、
酒を飲んだり、本を読んだり、眠ったりとリラックスします。
これは飛行機では絶対味わえない、個人的な安心感だったのです。
その新幹線で事件が起きました。例の焼身自殺です。
自分で自分に火をつけなければならないほど、
当人にもいろんなことがあったのでしょう。
しかし、それに巻き込まれて亡くなった人にとっては、あまりにも理不尽です。
技術立国ニッポンと安全・安心なニッポンの象徴だった新幹線での事件。
なんだか言い知れぬ不安を感じている、広島行の新幹線のなかです。画像33

(6月23日更新)

私にとって、年に一度の釣りのシーズンがやって来ました。
今年の舞台は、沖縄・与那国島、東京湾、伊豆諸島・神津島の3ヶ所。
狙うは30キロ超えのカンパチ、江戸っ子が命を懸けて食したという危険な美味、
そして釣り師たちが「オオカミ」と呼ぶ謎の高級魚です。
こうした番組を担当すると、
日本が世界に誇る海洋国家だということがよく分かります。
日本の国土面積は世界でみると60位前後にすぎません。
しかし領海や排他的経済水域で見ると、その広さは国土の12倍。
世界第6位という、有数の巨大大国へと変身するのです。
そう思うだけで、大海原に繰り出し、怪魚を釣り上げてみたくなるじゃないですか・・・。
写真の一枚、頭だけの食いちぎられたカンパチの写真。
20キロクラスのカンパチを次々と釣り上げても、
それを横取りするバケモノがいました。
海の彼方は、底知れない世界なのです。画像32

(5月31日更新)

いま小さな庭に、いろんな色や形のバラが咲き誇っています。
バラの花言葉・・・同じ色にもいろんな意味があるようですが、
男女の関係の花言葉に絞ってみると・・・
白は『純潔』、ピンクは『恋の誓い』、赤は『情熱』、
オレンジは『誘惑』、黄色は『嫉妬』、黒赤色『憎悪』・・・
そう考えると、我が家の庭は凄いことになっています。画像31

(4月29日更新)

チワワと柴犬のミックス「まろ」が我が家にやって来て、半年ほどたった頃、
買い物に出かけていた家内と息子が、子犬を抱えて帰ってきました。
聞けば、ホームセンターで購入してきたとのこと。今回は何の相談もなくです。
「だってあんまり可愛いいんだもの。
マロンじゃあなたの散歩の相手にならないでしょ」
確かに小さな「まろ」は、(「マロン」と「まろ」の使い分けは既に書きました)
散歩に行ってもすぐに歩くのをやめ、いつも抱っこして帰ってくる有様でした。
その犬は、当時人気になりかけていたトイプードル。
我が家のペットは、それまで、少なくとも初期費用はかかっていませんでした。
死にかけていた野良猫の赤ちゃん「チャッピー」。
猫屋敷から貰い受けて来た「モモ」。
そして知人から譲り受けた「まろ」。3匹ともタダでした。
しかし、今回のトイプードルには大金を支払ったようです。
父親はアメリカのチャンピオン犬だとかで、初めての血統書付でもありました。
「抱っこしても、全く動かないの。こんな可愛くておとなしい子いる?」
と家内。確かに置物のように動かず、ぬいぐるみのような犬でした。
子供たちが付けた名前は「チョコ」。見ての通り、こげ茶色をしているからです。
しかしこれが、とんでもない犬だったのです。
あれから、ほぼ10年。
私の帰宅は、仕事の都合で1年のうち半分、200日近くが深夜になります。
2時、3時は早いほうで、5時、6時になる時も。
当然、家族はみんな寝ています。
私がそっと玄関の鍵を開けると、きまって居間にいるチョコが吠え出すのです。
普段はおとなしいのに、人の気配を察すると吠えます。
それも、周り近所が起きてしまうのではないかというほどの大声で・・・。
番犬としては優秀なのかもしれませんが、
こっちはあわてて、居間までダッシュするはめになるのです。
私の顔を見れば、すぐ鳴きやむのですが・・・ほぼ毎日のことなので、
「お前、覚えろよ!」と叱るのですが・・・どうやら、バカなのです。
近所のみなさん、すいません。
また感情が抑えられず、いわゆる「うれション」もします。
だから普段「おしめ」をしています。
その「おしめコレクション」もバカにはなりません。
金のかかる犬です。でも可愛いのです。画像30

(4月7日更新)

春が一気にやって来ました。
我が家の小さな庭も、急に彩り鮮やかに・・・。
「椿」や「水仙」はいつの間にか散っていましたが、
「かいどう」「照手桃」「花桃」「バラ」
それに鉢植えの「仙台しだれ桜」が満開です。
春ですね~。
花見酒といきたいところですが、
腸にできたポリープを3つ切除し、暫く禁酒です。
春なのに…。画像29

(3月20日更新)

チャトラとサバトラ、2匹の猫との生活が当たり前になった頃、
家内が今度は犬を飼いたいと言い出しました。
娘の友達の家でチワワと柴犬のミックスが生まれて、
そのうちの1匹を貰ってくれないかと言われたそうです。
「あなたのメタボ対策。散歩のお供よ」という理由もついていました。
ほどなく小さな犬が家族に加わりました。
7匹生まれた中で、一番小さく、
チワワの血が色濃いメスを貰って来たということでした。
片手の手のひらに乗るほど小さく、容姿はチワワのような柴犬のような…。
子供たちが付けた名前は「マロン」。
でも私は、この子の眉毛がお公家さんの化粧のような位置にあるので、
「まろ」と呼ぶことにしました。あれから、もうかれこれ10年。
「まろ」は大きくなっても、両手のひらに乗るほどしかなく、
「マロン」と呼ばれようが「まろ」と呼ばれようが、
いつも勢いよく抱きついてきます。
そして今では、我が家の女王様のような位置を確保しています。
飼ってみて分かったのですが、チワワは人懐っこく可愛いのですが、
一方でとても気が強くしつこいのです。
その気性の荒さに一番戸惑っているのは、
「まろ」の半年後に我が家にやってくることになる
「チョコ」という気のいいオス犬です。画像28

(3月4日更新)

病院食です。お世辞にも美味しいとはいいがたい食事です。
それでも私のぶんは、一番良いメニュー。制限がないからです。
人によっては、量が半分位だったり、白湯のようなお粥だったりといろいろです。
2月の第1週と第3週に2泊3日ずつ入院しました。
2、3年前から眼に霞のようなものがかり、ぼやけていたのです。
1年ほど前、眼科で見てもらい「白内障」だと分かりました。
去年の秋ごろからは、メールを読むのも困難になり、手術してもらうことにしました。
いま、白内障の手術の主流は日帰りです。そのつもりでいたのですが、
眼球に少し問題があって、万一を考え地域の中核病院の眼科を紹介されました。
結果は、噂通り「白内障の手術」は、あっという間に終わり痛みも無かったです。
ただ、大きな病院を紹介されるようなリスクを抱えた患者ばかりですので、
同じ日に同じような手術を受けた人の中には、手術時間は私よりはるかに長く、
術後まで痛みがあり、退院まで数週間要すると言われた人もいました。
また、総合病院なので、同じ病棟の患者は眼の病気の人だけではありません。
抗がん剤治療を受けている人や腎臓病が悪化し危篤になる人も・・・。
私より若い人も大勢いました。入院すると、つくづく健康の大切さが身に沁みます。
定期検診は大事ですが、40歳、50歳、60歳のような人生の節目に、
健康な人も1週間くらい入院するのを義務付けてみたらどうでしょう。
その後の生活改善に、効果絶大だと思うのですが・・・。
何人かの患者さんと知り合いになりました。
大きな病と闘っている人ほど、健気で、強くて、優しいのが印象的でした。
そして、美味しくはない病院食ですが、他に楽しみがないと・・・待ち遠しくなるものです。画像27

(1月23日更新)

1月2日、モルディブからシンガポールに入りました。
香港・上海などとともに、「ガイアの夜明け」でもよく取り上げる
アジアを代表する国際都市です。
しかし、私がこの街を訪れたのは38年ぶりでした。
20歳の時、初めて海外を一人旅した時に立ち寄った国のひとつがシンガポールでした。
その時は、これから何度となく来ることになるだろうと思っていたのですが・・・。
ガーデンシティーの美しさに感激し、
観光開発が始まったばかりのセントーサ島のビーチで、
ごろ寝して過ごした思い出があります。
今回は、若い頃には敷居が高かったラッフルズホテルにも立ち寄りました。
このアジアを代表する歴史あるホテルのレストランで、
2年前から日本の白ワイン「甲州」がリストアップされています。
(1月13日OAのガイアでも取り上げました)
今回一番感じたのは、物価の高さでした。
20歳当時のレートは1ドル240円ほどだったと思いますが、
それでも物は安いと感じた記憶があります。
今回は120円でも高いと思いました。例えば、写真のロブスター麺。
一杯36シンガポールドル。3300円くらいします。
街並みもマリーナ・ベイ・サンズに代表される変貌ぶり。
ちょっとした浦島太郎のような感じでした・・・
バーで、記念にシンガポール・スリングを飲みました。また、来られるとは限りませんから・・・。
38年前は、そんなこと考えもしませんでした。歳をとるとは、そういうことでしょうか。画像26

(1月10日更新)

明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。
私は申年の早生まれ、同級生の多くが今年還暦を迎えます。
私自身は50代最後の年…。時が経つのは、本当に早いものです。
年末から年越しは、インド洋に浮かぶ島国モルディブに行っていました。
家を出て目的地に着くまで、丸一日近くかかる場所に待っていたのは、
予想を上回る絶景とゆったり流れる島の時間でした。
1200の島からなるモルディブですが、観光開発が進み、
今や100に及ぶ島がリゾート地になっています。
一方で温暖化による海面上昇があと1メートル進むと、
全国土の80%が消失する危機にもさらされています。
そんな、はかなく天国のようなサンゴ礁の島で、
眩しい朝日に起こされ、透明の海に遊び、白い砂浜で昼寝し、
美しい夕焼けに胸震わせ、満天の星を眺めて眠る。
これまでの人生で経験したことのない時を過ごしました。
もし死に方を選べるとしたら・・・
このシンプルな1日の営みのなかで、ヤシの木陰に横たわりながら、
出来ればほろ酔い気分で、波の満ち引きに合わせて・・・なんて思ったりもしました。
新年へのカウントダウンは、居合わせた様々な国の人たちと一緒に。
ロシア、フランス、イタリア…欧州の人たちが半数以上。
次にインドの方。その次に日本人が多く、韓国・中国、そしてアフリカの人たちもいました。
まるで小さな島が、ひとつの国、ひとつの星のようでもありました。画像25

(12月26日更新)

いつになく穏やかな12月でした。
予定していた、年末年始の特番の何本かが大幅に延びたためです。
連日徹夜が続く、これまでの年のほうが異常だったのかもしれません。
2015年のスケジュール帖はオレンジ色にしました。
持ち物は黒か白が多いのですが、手帖だけは毎年、派手な色にします。
14年は黄色、13年はゴールド、その前は赤でした。
理由は見つけやすいから。これ、意外と大事なことです。
クリスマスを終え、正月の準備を済ませて、
今年も取材を兼ねた旅に行ってきます。
アジアで一番時間がゆっくり流れる場所と、
経済が沸騰する街を見てきます。
今年もありがとうございました。来年も宜しくお願いします。画像24

(12月14日更新)

師走の京都・・・紅葉も素晴らしかったですが、美味しい料理も堪能しました。
京都は、和食はもとより、焼肉、ステーキ、うなぎなど・・・
全国のランキングでも五指に入るような名店が一つの町に存在する稀有なところです。
日本の食の中心はもちろん東京ですが、東京は広すぎて多すぎて、一つの町の範疇を超えています。
その点、京都は狭いエリアで日本の食文化の高さに酔いしれることができます。
今回行った店の、それぞれ印象的だった料理を一品ずつ写真にアップします。
1日目(昼)・・・日本で一番居心地のいいフランス料理店。 メインで出て来た、蝦夷シカのソテー。
1日目(夜)・・・日本で一番好きな日本料理店。 牡蠣とキノコの炊き合せ。ここの汁もの、椀物、ご飯は最高です。
2日目(昼)・・・関西で一番好きなうなぎ店。 うな重。鯉の洗いも絶品です。
2日目(夜)・・・人気急上昇中の和牛懐石の店。 近江牛の入った真薯。メインの熟成ステーキより印象的でした。
3日目(昼)・・・現代の名工が作る寿司店。 京都の定番 鯖寿司。
3日目(夜)・・・日本で一番好きな焼肉店。 諸事情により写真は撮れません。
至福の三日間でした。しばらくは、納豆飯で生きていけそうです。画像23

【追】
芭蕉庵のある金福寺に向かうとき、道に迷い、住宅街の中で小さなケーキ屋さんを見つけました。
京都でケーキはないだろうとは思いましたが、歩き疲れたので一服しました。
とても美味しかったのですが、そこは京都で一番評判の高いケーキ屋さんだと、あとで知りました。
こんなこともあるのですね。

(12月6日更新)

師走の京都に「なごりの紅葉」を見に行きました。
永観堂、東福寺・・・紅葉の名所も相変わらず見事でしたが・・・
今回行ったなかでは、嵐山近くにある「鹿王院」が特に印象的でした。
住宅街の中にある小さなお寺ですが、
門から本堂へと続くアプローチの紅葉のトンネルが様々な色に染まり、
別世界に誘ってくれます。
嵐山を借景にした紅葉は、スケール感こそ欠けますが、
来訪者がほとんどいないので、貸し切りのようで「まったり」できました。
1年で最も混雑する11月の3連休でも、嵐山のメインルートから外れているため、
ゆっくり紅葉をめでることができるそうです。
天授院・金福寺・詩仙堂・曼殊院門跡にも足を延ばしましたが、
さすがに比叡山山麓はひと月遅すぎた感じでした。
苔むしたさびれた庵に、はらはらと紅葉が散るさまに・・・なぜ、深い美意識を感じるのか・・・。
蕪村が建てた「芭蕉庵」でそんなことを考えた、小春日和でした。
「そうだ 京都、行こう。」20年前から放送しているCMのシリーズのなかで・・・、
今も覚えているコピーがふたつあります。
ひとつは「六百年前、桜を全部切りました。春より秋を選んだお寺です」
もうひとつは「子どもは ひと夏ごとに おとなは ひと秋ごとに 
何か大切なものを身につけていくように思います」 画像22

【追】
8月に放送された「ヒロシマを遺した男~原爆資料館誕生秘話~」(テレビ新広島)が
ギャラクシー賞奨励賞を受賞しました。

(11月15日更新)

秋の庭には、四季咲きのバラがぽつりぽつりとしかなく、
なんとなく寂しいと思っていたら、ヤブコウウジには赤い実がなり、
金木犀にも黄色い小さな花がびっしりとついていました。
今年も我が家のモミジは、赤くなりません。どうやら西日が強すぎるようです。
名前も知らない紫の花が、頑張って咲いています。
寒椿も花をつけていました。「貴婦人」という種類で、綺麗な花です。
今年も、もう冬支度です。画像21
【追】
映画「和ちゃんとオレ」が、ABU(アジア太平洋放送連合)賞の
テレビドキュメンタリー部門の最優秀賞を受賞しました。

(9月13日更新)

死にかけていたチャトラの子猫が「チャッピー」と名付けられ、
元気に家のなかを駆けまわるようになった頃、
帰宅するとサバトラの子猫がおびえていました。「どうしたの、この猫?」と聞くと、
「チャッピーひとりじゃ可哀そうだから、もうひとり貰ってきちゃった」と、家内。
「ひとりじゃないだろ、一匹だろ」という言葉を飲み込んで、
「どこから?」と聞き返したのが10年近く前の話です。
すると近所の猫屋敷から、数十匹いる猫のうち、最も美人をゲットしてきたとのこと。
ただ、まだ眼が開いていないまま家に来たチャッピーと違い、
その猫は生後半年ほど猫屋敷で野生同然で飼われていたので、簡単には捕まえられず、
エサでおびき寄せ、檻に追い込んで捕まえたということでした。
そのせいで、そのサバトラの子猫はおびえきっていたのです。
特に、自分を檻に追い込んだ家内に対しては敵意丸出しで、威嚇しながら逃げ回る始末。
その反動からか、何故か私にはなつき、何時もついて廻るようになりました。
ほぼ10年経った今も、家内にはなついていません。メス猫の恨みは執念深いのか、
悪魔を見るように逃げ回り、私に助けを求めるのです。
結果、私がいない時でも1日のほとんどを私の仕事部屋で過ごし、
私が帰ってきて仕事をしている時は傍でじっと見ています。
疲れてベッドに横たわると添い寝までしてくれます。名前は「モモ」。
「モモはあなたの愛人ね」と家内。
「愛猫だろ・・・」という言葉を飲み込んで、モモとじゃれる毎日です。
しかし、我が家のペット物語はこれでは終わらなかったのです。
【追】
事後報告ですが、先日「新週刊フジテレビ批評」という番組に出演しました。
1時間番組の生放送のうち25分ほど、上智大学の音好宏教授と
フジテレビのドキュメンタリーの過去と現状と未来について語り合いました。
テレビ初出演。余りに恥ずかしかったので、事前にお知らせしませんでした。
土曜の朝5時からという時間なので、誰も見ていないと思ったのですが・・・
今更ながらテレビの恐ろしさを実感しています。画像20

(8月18日更新)

丁度10年前、我が家に瀕死の子猫がやって来ました。
近くのマンションの塀と塀の間に産み落とされた一匹で、
顔には舗装用のコールタールがくっ付き、ぼろ雑巾のようでした。
片手の手のひらに乗るほど小さく、まだ眼も開いていません。
たしか、そのマンションに住んでいた娘の同級生のママ友からの依頼でした。
それまで、動物を飼うことには反対し続けていた家内が、
この時ばかりは、何故か引き取ることに積極的だったのです。
子猫が衰弱していたこともあり、
まだ中学生だった子供たちも交代で世話をしました。
スポイドで乳をやり、ベビーフードを食べさせ、添い寝しているうちに、
いつしかチャトラの子猫は、目をあけ、元気に遊び廻るようになり、
「チャッピー」と名付けられ、家族の一員になっていました。
チャッピーは目が開いた時から、うちの家族としか接しなかったためか、
しばらくは自分のことを人間だと思い込んで成長したようです。
それにしても、きれい好きで、家のなかに動物の毛が落ちていることなど
許せなかった家内が、何故あの時は死にかけた子猫を受け入れたのか・・・。
丁度子供たちが手を離れ、心にポッカリ穴が開いていた時期だったようです。
いま動物病院のドキメンタリーを作っています。
人は何故ペットを飼うのか? そんなテーマです。
そして10年前、思いがけなく家族となった猫が、
その後の我が家を大きく変えて行くことになります。画像19

(7月21日更新)

「ヒロシマ」カタカナで書くと特別な意味を持つ街です。
5月、6月と1本ずつ広島で番組を担当し、そして7月になっても、2週間に一度の割で通い続けています。
今回は8・6特番。原爆が落とされた日に放送するドキュメンタリーを制作しています。
2年に一度くらいの割で、原爆の日の特番を依頼されるようになって、かれこれ10年近くになるでしょうか。
(ほとんどの作品は広島県内だけで放送され、全国放送には至りません。
原爆の番組を、たぶん日本人の多くは見たくないのでしょう。
しかし広島の局は、どこも使命感を持って毎年作りつづけています。長崎もきっとそうなのでしょう・・・)
番組を作るために、繰り返し原爆に関する資料や取材映像を見ていると、
時々この街は本当に存在するのか・・・幻ではないかと思える時があります。
実際住んでいる人には判りにくい感覚かもしれませんが・・・、原爆投下直後の映像を見たあと、
横浜の自宅に帰るため、局から駅までタクシーで移動する途中に見える
賑やかな広島の街が蜃気楼のように思える時があります。
人類が造った最も恐ろしい兵器で、一瞬にして焦土と化した悲劇の街。
放射能に汚染されたヒロシマは、当時75年間は草木も生えないとさえ言われたのです。
そこに今、120万人近い人々が暮らし、日本で11番目の街が実在するのです。
外国人の姿も目につきます。
みんな人類の負の世界遺産「ヒロシマ」を見に来て、この街の繁栄に驚愕するようです。
本当は「TOKYO」ではなく「ヒロシマ」でオリンピックを開催すれば、
それだけで大きな意味があると思うのですが・・・。
今年の「原爆特番」は、長岡省吾という人物をとりあげます。原爆資料館の初代館長。
調べれば調べるほど凄い人です。ほとんど資料はありません。関係者の証言だけが頼りです。
今回は、再現ドラマを組み込んだ構成にしました。出来れば全国、いや世界中の人に見て頂きたいのですが・・・。
今年もヒロシマは、忘れてならない残酷な夏を迎えます。画像18

(7月2日更新)

京都に行って来ました。
式年遷宮中の下賀茂神社、改装なった平等院。梅雨の晴れ間に恵まれました。
京都へ出張が決まると、私はまず「I」という日本料理店に予約の電話を入れます。
昼夜、3組ずつしか客をとらないこともあり、いまでは京都で最も予約の取れない店のひとつですが、
私は何故か一度もカラぶりがありません。それが縁というものかもしれませんが・・・。
その後、フランス料理の「K」、肉料理の「A」と予約を入れ、
この三軒が決まれば、もう京都の旅は成功したも同然です。
三つの店には共通するものがあります。それは「居心地が良くて」「美味くて」「安い」ということです。
どの店も、女将さんの客あしらいが抜群です。そして、厨房や板場で腕を振るうご主人の腕の確かさ。
多分その分野では、超が付く一流でしょう。更に、出る料理の内容に比して、お得感があること。
一人前2万円、3万円が当たり前の京都ですが、それだけ払って美味しいのは当然です。
私の料理の目安は1万円まで。流石に日本料理の夜のコースでは、それを越えることもありますが、
いくら年に数回しかないこととはいえ、自腹を切る身としては、「安い」は外せない条件です。
今回はこれに、評判の良いイタリア料理店「K」を加えてみましたが、
先の三軒に比べると・・・大きな隔たりを感じました。
今度、私にとっての垂涎の三軒を廻れるのは、何時になるでしょうか・・・。出来れば、紅葉の季節に。画像17

(6月10日更新)

6月は私にとっては釣りの季節です。
毎年6月に、フジテレビ系列のテレビ新広島が、年に1回全国放送する釣り番組を、
長年担当しているからです。「ニッポンを釣りたい!」というシリーズになって今年で15回目。
それ以前は、世界に出掛けて行って大物を釣るシリーズもあり、20年近くこの時期、広島に通っています。
スタッフは釣り番組のプロ。40年近く続く週一の釣り番組で、ノウハウを蓄積してきた人たちです。
出演するタレントさんの都合で、多くは2泊3日。酷い時は1泊2日の強行軍です。
このスタッフ、その間に狙いの魚を釣らせる「引きの強さ」は、神がかりなところがあります。
1回に3組(人)出演してもらうので、15年間に45組(人)。
そのなかで目的の魚が釣れなかったのは、たった1回だけでした。
今年は特に悪天候で、タレントさんも大変だったようですが、それでも狙いの魚を見事にゲットしています。
この番組がきっかけで、「釣り」が趣味になった出演者は大勢います。
広く釣りの楽しさを知ってもらうために、極力専門用語は使いません。
「竿」「ハリ」「糸」その先にいる「エモノ」。そして判りやすいCG。
日本は海、川、湖と釣りには最高の国。せめて気分だけでも、番組を見て味わってください。画像16

昨年12月に放送された『私もきっと騙される』(テレビ東京・ザ・ドキュメンタリー)が、
TXNドキュメンタリー優秀作品賞を受賞しました。

(6月1日更新)

ひと月に、およそ半分地方に出掛けていた間に、
庭の花も春のものから初夏のものに変わっていました。
様々なバラ、百合水仙、その間に紫の岩シャジンや黄色い三時草も咲いています。
結局、5月だけで地方局の番組を5本担当しました。
そのどれもが、それぞれの局から賞にノミネートされることになります。
しかしこの賞というのが、また「みずもの」です。
手応えあるものが作れても、同じ土俵に更にパワーがある作品が登場してくれば、
当然不利になります。第一「良い作品」の基準も曖昧と言えばあいまいです。
審査委員の趣味趣向で、大きく意見が分かれるものです。
私自身も10年ほど前、4年間ほど、ある賞の審査委員を務めていたことがありますが、
私が納得できた作品が最優秀をとったことは、1回しかありませんでした。
自分がかかわった作品も、何度か賞を貰ったことはありますが・・・
意外な作品が複数の賞に輝いたり、反対に「これぞ」と思っていたものが、
全く相手にされなかったりと、いろいろです。
ただ賞をとれば、特に地方局では玄関ロビーの一角に
そのトロフィーや賞状が局の歴史となって飾られることになります。
「みずもの」の割には、とれるかとれないかは大きな違いになっていくのです。画像15

(5月14日更新)

富士川鉄橋から見える富士山が好きです。
この風景を、2週間で6回見ました。あと1~2回は見ることになるでしょう。
5月は私にとって地方廻りの月です。今年は、広島、福井、石川の3局で4本番組を作っています。
なぜ5月か? それは5月末日が民間放送連盟の映像祭の審査締切りになっているためです。
賞レースに参加するため、日本中の局が軒並みこの時期作品を発表するのです。
いろんな局から声をかけて頂きますが、レギュラーの番組を何週も休むわけにもいかず、
3~4本が限界でしょうか。地方のスタッフに上京してもらう時もありますが、こちらからも出かけます。
朝、8時頃の新幹線に乗ると、大抵12時頃には着きます。
広島ならお好み焼き。福井なら越前蕎麦。石川なら和食。昼飯は決めています。
昼食後夕方まで打ち合わせをした後、新幹線に飛び乗ります。そう、大抵は日帰りです。
その時、駅で地酒と肴を買い込み、車中で一人居酒屋を始めます。4時間ほど、酒を飲みつつ本を読む。
これが至福の時です。偶然ですが、私が仕事を受ける局は、美味い酒があるところばかりです。
時間に余裕があるときは、宿泊もします。地元を知り尽くしている地方局の方々に連れて行ってもらう店は、
100%ハズレがありません。加賀料理、ご馳走様でした。画像14

(4月25日更新)

特番などが重なり、気がつけば今年は桜を愛でぬまま、春は盛りになっていました。
我が家の小さな庭にも、いつの間にか花が咲き乱れています。
水仙。山桃、椿は既に散り、シャクヤク、ツツジ、テッセンが満開です。
艶やかな花の間に、丹丁草やクリスマスローズといった可憐な花も咲いています。
若い頃は「庭は雑草になるのでコンクリートで固めて・・・」なんて言っていた家内が、
何時の頃からか、せっせと草花を植え手入れを始めました。人って変わるのですね。画像13

(4月7日更新)

私の仕事の大きな比重を占める作業に、番組のナレーションを書くというのがあります。
近年、私が書いたナレーションを最も多く読んでいただいたのは、蟹江敬三さんでした。
「ガイアの夜明け」というレギュラー番組で、毎週のように読んでいただきました。
原稿を書く時、声を出して読みます。
読んでいただく方のトーンに合わせて、読みながら映像に当てて行きます。
蟹江さんなら、きっとこう読むだろう・・・などと思いながら。
そしていつも、OAを見ながら「上手いな~」と思ったものです。
スタッフが「蟹江節」と呼んでいた名調子は、もう聞けないのですね。合掌。

(2月17日更新)

東京に大雪が降った日から、次の大雪の日までほぼ1週間、
数年ぶりに罹ったインフルエンザで寝込んでいました。
予定していたいくつかの会議や番組の仕上げにも参加できず、関係者にはご迷惑をおかけしました。
1日の大半をベッドの上で過ごし、真夜中にはソチオリンピックの日本人選手に声援を送るという日々。
まるで、のんびりとした休日のようでもありましたが、そこは病気。39度以上の高熱と節々の体の痛みは、
本や資料を読む気力も消耗させ、ただ、ボ~ッとしている有様でした。
つらつら思い出すのは、年末年始のイタリアとフランスの旅・・・。
脳裏に刻まれた風景や芸術、毎朝食べたフランスパンのこと。画像12

(2月6日更新)

このところ続けて、福井に通っています。
地方局の仕事ですが、楽しみなことがあります。
そのひとつが、蕎麦。福井(越前)そばのもっともポピュラーな食べ方は、
蕎麦に薄口の出汁をはり、そこに大量の大根おろしを入れて食べる、おろし蕎麦です。
写真だけではその違いは分かりにくいと思いますが、
甘い大根あり、辛み大根あり、その両方一度に出すとこあり、
最初からぶっかけたのあり、汁にまぜたのあり、十割あり、二八あり・・・etc。
実に多彩で、実に美味いのです。
福井に行く時の昼食は、もうこれしか頭にありません。画像11

(1月25日更新)

2014年は、元日にパリに入りました。パリ市内から出ることなく、
ルーブル、オルセー、オランジェリー・・・美術館三昧でした。
暖冬のため、持っていたカイロは一度も使うことはありませんでした。
日本人観光客で溢れていましたが、
現地で購入したミュージアムパスがとても便利でした。
持っているかいないかで、ひとつの美術館に入るだけでも
2時間近く違ったと思います。
名画を見て、カフェでくつろぐだけの日々でしたが、
いい年の初めになりました。さて、仕事です。画像10

(1月21日更新)

2013年の年越しは、イタリアのフィレンツェでした。
美術番組や紀行番組で、私自身、外国では一番多くナレーションを書いて来た街です。
ダ・ヴィンチやミケランジェロやラファエロたちが行き交った奇跡の街。
新年へのカウントダウンを楽しみにしていましたが、トスカーナのワインを飲み過ぎて、
大歓声と花火をBGMに眠ってしまいました。今年はどこで、年を越すことになるのか・・・
1年はアッという間です。画像9

(1月7日更新)

明けましておめでとうございます。
50歳を過ぎてから、自分からは年賀状を出さなくなりました。
頂いたかたへは、後日、ご返事をするよう心掛けてはいますが・・・。
来る年賀状の数もそれに比例して、年々少なくなっています。
この10年で、パソコンなどが急速に発達したことも要因かもしれません。
年末は、ローマへ行っていました。
壮大な歴史を醸し出す街に、ただ圧倒されていました。
これまでにも行くチャンスはあったのですが、20代でこの街を知っていれば、
人生が変わったかもしれないとさえ思いました。画像8

(12月25日更新)

今年の仕事納めは12月26日。30年以上この仕事をしてきて、
こんなに早く徹夜から解放されるのは久しぶりです。
正月をまたいで2週間ほど取材を兼ねた旅に行ってきます。
今年もありがとうございました。来年も良き年でありますように。

(12月16日更新)

京都に行くと困ってしまいます。
どうしても行きたい店がいくつもあって・・・
日本料理はもとより、肉料理、フランス料理、そして雰囲気のいいバー。
年の瀬、仕事が立て込み徹夜が続くようになると、逃げ出して美味しいものでも食べに行きたくなります。
人生、あと何度そんな師走を迎えられるのでしょうか・・・。画像7

(11月21日更新)

早秋の京都・・・日本列島は広いですね。
北海道は雪だというのに、京都はまだ紅葉には早すぎました。
誰も居ない「紅葉の馬場」(二尊院)。青々とした「床紅葉」(実相院)。
静かな京都も、あと10日もすれば観光客で溢れます。画像6

(11月12日更新)

晩秋の北海道。
北国は一足飛びに冬に向って駆け出していました。
食べものも、一気に美味しくなる季節です。
今年も、いつの間にかラスト・スパートなのでしょうか・・・。画像5

(10月24日更新)

「原発のまちに生きて」(福井テレビ)のフジテレビでの放送が決まりました。
これまた早朝ともいうべき時間帯です。
昨年の日本放送文化大賞で準グランプリになった作品の続編です。
福井の人々の複雑な気持ちに迫っています。

(10月21日更新)

日本放送文化大賞の九州・沖縄地区で1位になった
「ママとぼくと信作と」(鹿児島テレビ)のフジテレビでのOA日が決まりました。
ほとんど早朝といえる時間帯です。これがドキュメンタリー番組の現状です。
この作品、1時間バージョンと1時間半バージョンがあり、
お薦めは1時間半のほうですが、今回は1時間の作品です。

(8月16日更新)

「ママとぼくと信作と」(鹿児島テレビ)が
日本放送文化大賞九州・沖縄地区で最優秀となり、中央審査に行くことになりました。
*全国7地区の代表とグランプリを競います。

(7月17日更新)

「ママとぼくと信作と~命と向き合った家族の10年~」(鹿児島テレビ) が
民間放送連盟 九州・沖縄地区テレビ報道部門で優秀賞を受賞しました。
最優秀でなくて残念でした。画像4

(6月13日更新)

日本は四方をそれぞれ特徴ある海に囲まれ、
また、山国であるため無数の川が流れています。
ですから世界でも希にみる「釣り天国」なのです。
今年も、見事な釣果がありました。・・・私が釣ったわけではありませんが。画像3

(6月7日更新)

2012年9月に放送された『いま助けてください~息子介護の時代~』(テレビ東京・ザ・ドキュメンタリー)
がTXNドキュメンタリー大賞グランプリを受賞しました。

(5月1日更新)

先日、3泊4日で地方の四都市を廻ってきました。
鹿児島弁、博多弁、京都弁、福井弁・・・どの言葉も心地よく、
改めて日本はつくづく素敵な国だと思いました。

(4月19日更新)

鹿児島テレビの打ち合わせのついでに、先祖の墓参りに行ってきました。
幕末から明治にかけて薩摩藩を支えた家老・小松帯刀公の墓もある寺。
近くには薩摩焼の窯元があります。わが故郷です。画像2

(4月8日更新)

年に何本か、地方局の仕事をします。多くても5本くらいでしょうか。
そのうちの3本が、5月の放送に重なってしまいました。
北海道、福井、鹿児島・・・4月、5月は小旅行が多くなりそうです。画像1