放送作家 岩井田洋光 公式サイト


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◆放送日が正式に確定したもの。
放送日が正式には確定していない、または発表をひかえているもの。
◇既に一部の放送局では放送を終え、系列局での放送が残っているもの。

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【テレビ東京】 火曜日よる10時から (1時間)
案内役:江口洋介さん  ナレーション:杉本哲太さん
◆10月 2日 放送分
◆10月 9日 放送分
◆10月16日 放送分
◆10月23日 放送分
【BSジャパン】 金曜日 夕方6時から(1時間)も放送しています。
予告_一滴の向こう側.png
【BSフジ】 
5年半にわたり放送してきたこの番組は、
スポンサーの都合により9月放送分をもって終了いたしました。
良質の作品を数多く作っていただけに残念です。
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◇【石川テレビ】
石川テレビ創立50周年記念番組
『金沢幻想物語 天才泉鏡花が愛した女(ひと)』
既に、石川テレビでの放送は終え、
フジテレビ系列の地方局順次放送予定。
http://www.ishikawa-tv.com/program/180518danmitsu/
◇【福井テレビ】
ナレーション:山根基世さん
『息子が死んだ日・・・~検証!白魔の36時間~』
既に、福井テレビでの放送は終え、
フジテレビ系列の地方局順次放送予定。
★フジテレビ(関東ローカル)
10月5日(金)28:00~28:55
深夜というより、ほとんど早朝ですが・・・
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夏の終わり、箱根に足を延ばしました。
まだ日差しは強かったものの、高原の風は秋そのものでした。
小田原駅近くの安くて美味い寿司屋で地魚を食べ、温泉につかり、
これまた、箱根では外せない鰻の名店で、少し贅沢をしました。
一泊二日の遅い夏休みです。

のんびりした旅のなかで、その多くの時間、ひとりの友人に想いをはせていました。
彼は「I」さんと言います。私にとっては、業界で唯一、戦友とでも呼べる人でした。
私が、この世界に入ったきっかけは、大学3年の時、私塾のような専門学校の
シナリオ科に通い始めたことです。その唯一の同期がIさんでした。
Iさんは、浪人し留年し、就職せずに、そこへ通っていました。
だから、同期といっても私より3学年4つ年上です。

私たちの共通の師は、専門学校の校長だった「O」先生。
私たちは、1カ月に1度くらいのわりで、
書き上げた作品を先生に見せに行くということを始めました。
O先生は、私たちのシナリオを受け取ると、新しい原稿用紙をくれました。
たまに感想はありましたが、添削のようなものはありませんでした。
いつの頃からか、私たちは先生に渡す前に互いの作品を見せ合い、
批評し合うようになりました。渋谷の公園や目黒の喫茶店で・・・。
思えば、これが私のシナリオの勉強でした。
交換して作品を批評するようになり、すぐに力の差に気付きました。
私のそれがただのストーリーなのに、Iさんのものは作品になっていたのです。
「俺は無理かもしれないけど、Iさんは絶対プロになれるよ」何度目かの時、
そう話したことを、昨日のことのように覚えています。Iさん、嬉しそうでした。

そんな私たちに、O先生は同じようにチャンスをくれました。
Iさんのデビュー作となった刑事ドラマも、別々にプロットを書き、
Iさんのものが採用されました。
私のデビュー作となった別の刑事ドラマでも、私はベテラン作家と共同脚本に
なったのに対し、Iさんは一人で書きあげました。
映画の脚本デビューも同じアニメ作品。嬉しくて、一緒に映画館をはしごしました。
スクリーンではなく客席のほうを見て、客の反応を確かめました。
劇場ごとに時間帯や客層の違いで、反応が全く異なり、ふたりして驚きました。
思えば20代の大きな転機となった瞬間には、いつもIさんが一緒だったのです。
ただ、僕たちの実力の差は、開けども縮まることはありませんでした。

私は、趣味でシナリオは書けても、これで食っていくのは無理だと・・・
いつもそばに居たIさんの存在で、思い知らされたのかもしれません。
ちょうどその頃、報道情報系の番組でも、構成作家を使うようになり、
私は、そちらに仕事の主戦場を移していくことになります。
「食える」という意味では、方向転換した私のほうが早かったと思います。
でもIさんは、ぶれることなくシナリオを書き続け、
刑事ドラマや2時間ドラマで頭角を現し、
やがて、連続ドラマやNHKの朝のテレビ小説も書く売れっ子になりました。
最近では、シナリオの私塾を開き、後進の指導にも力を注いでいたようです。

そんなIさんが亡くなったという知らせは、突然でした。癌でした。
互いに仕事が忙しくなった30代以降は、年に1、2度会って話す程度でした。
彼のブログを読むと、亡くなる少しまえ・・・
長年シナリオを書き続けてきたことを回顧している文面がありました。
すでに体調が悪かったはず、なんとなく察していたのかもしれません。
彼は、現役のシナリオライターのまま亡くなりました。
世に出てからは、仕事が途切れることはなかったそうです。
「Iさんは絶対プロになれるよ。」40年前の私の眼力は正しかったわけです。
「Iさん」と書きましたが、映像学校の仲間は彼を「純ちゃん」と呼んでいました。
いつも優しくて、面倒見のよかった「純ちゃん。」
大人になってから、私が「ちゃんづけ」で呼んだ、唯一の人です。
(更新10月3日)



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